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種村直樹 著 鉄道を書く 種村直樹自選作品集VI 1980-83 |
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■四国・九州ローカル線めぐり 「超割」に「ことでんくるりーん」「九遊きっぷ」
『鉄道を書く 種村直樹自選作品集』シリーズ第1期を締めくくる6巻目は、公共企業体日本国有鉄道の解体――分割民営につながった国鉄再建法が成立した1980年(昭55)から、鉄道としての使命を終えたとされる国鉄ローカル線が、その施行令によって特定地方交通線に指定(選定と称された)され、廃止が始まってゆく1983年(昭58)ごろまでを対象にするので、巻頭紀行は北九州の廃止ローカル線跡が適当だなと考えていた。本書を編纂している21世紀当初の航空会社は、全日空ANAの「超割」(国内全路線全便一律1万円)が象徴するバーゲン型運賃に力を入れているので、片道でも使えば、世相を映す話題性があると思っていたら、JR九州は2002年からANAとタイアップして「九遊きっぷ」(3000円。「超割」利用当日か翌日、JR九州全線の特急普通車自由席乗り放題)発売を始めたので、ますます好都合だ。かねてから、ライフトラベルとなった「日本列島外周気まぐれ列車」途上の93年2月、空港への取り付け道路工事現場を通りがかった佐賀空港が気になっていたのだが、2002年9月、「超割」+「九遊きっぷ」、それだけでなく大好物の柳川「元祖本吉屋」の名物「せいろむし」までセットして、仲間に抜けがけされてしまった。少しは形を変えてお返しせねば、しめしがつかない。 それはそれとして、ローカル線といえば、香川県のコトデン――高松琴平電気鉄道が気がかりである。高松は1巻で書いたとおり、毎日新聞記者だった駆け出し時代の最初の赴任地だし、コトデン3線(琴平、志度、長尾線)にも乗り親しんできた。それよりずっと前、1950年(昭25)10月26日早朝には、中学校の修学旅行で国鉄宇高連絡船から吐き出された築港駅から志度線の屋島登山口までコトデンに揺られ、前の年に復活していた屋島ケーブルで山頂に登って、自宅から持参した弁当を広げている。 そのコトデンが2001年来、おかしくなったままなのだ。元はと言えば1997年(平9)に高松市南のターミナル、常盤町の瓦町駅ビルに開業した「コトデンそごう」の不振と、「そごう」本体の破綻が響き、2001年1月、有利子負債が328億円にふくらんで自力再建が困難になり、民事再生法の適用を受けて営業を継続していた。 2002年になって、8月に経営陣を刷新、JR四国とタイアップした「ことでん・JRくるりーんきっぷ」(有効当日限り、1700円。ことでん全線と、JR四国線の高徳線高松―志度間、予讃・土讃線高松―多度津―琴平間がフリー乗車区間で、普通列車の自由席乗り放題。特急券を買えば特急にも乗れる)発売などの積極策をみせたから、ローカル線紀行の中にコトデンも組み込みたくなった。しかもJR高松駅周辺は第3巻巻頭の「東京―宇和島“鈍行”乗り継ぎ旅」で立ち寄った2年半前の2000年7月31日とは姿形を変えており、新駅舎とJR四国直営の「全日空ホテルクレメント高松」がオープンした。いずれと思っているうち、新駅、ホテルどちらにも対面、宿泊の機会がないまま今日に至っているから、利用したい。これらの要素をミックスして次のようにラフデッサンし、いつものように同行してくれる中央書院の担当編集者、芳賀ちゃんに投げかけた。これまでは、高松琴平電鉄を“コトデン”と片仮名表記してきたが、新経営陣はイメチェン作戦の一環として、平仮名表記の“ことでん”に変えたらしいので、今後は平仮名書きにせねばなるまい。
たぶんに思いつき的な要素が多かったため、折り返し芳賀Eから、移動のみで終わってしまう旅程になりそうだというファックスが届き、再検討のうえ、2002年12月3日、火曜日の〈サンライズ瀬戸〉で出発、4日は高松、5日に黒川温泉泊まり、6日、佐賀空港18時20分発のANA456便で帰るという完全な逆コースに落ち着いた。シーズンオフなので、ANAの超割を含め、予約はすべてすんなり取れ、高松―北九州間の移動は〈マリンライナー〉と〈のぞみ〉になった。『鉄道を書く』にふさわしい決着といえよう。 (p.9-12)
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あとがき
レイルウェイ・ライター25周年の1998年(平10)6月に第1巻を刊行したアンソロジー、『鉄道を書く 種村直樹自選作品集』の第1期を完結する6冊目の『VI 1980〜83』を、6年がかりで30周年の夏に送り出せる見通しとなった。この第6巻は、僕が日本の鉄道全線を完乗、フランスでTGVが最高時速260キロの営業運転を開始、日本では公共企業体日本国有鉄道解体につながった「国鉄再建法」が成立、ローカル線廃止の嵐が吹き荒れようとしていた時期である。僕の行動半径は、TGVからシベリア鉄道などへ広がり、作品を発表する場もふえていたものの、こうした影響で、全体として、重苦しい雰囲気が感じられる。本文にも記したとおり、この時期に刊行された月刊誌『法と政策』(第一法規出版)の連載コラム、「旅のメモから」は、僕の仕事にぴったりで楽しく書けたが、惜しいことに約2年で終刊となってしまった。この本には9本を収録し、芳賀郁雄エディターの判断で、「レビュー、解説」と、「エッセイ、コラム」の両章に分載している。コラム「きしゃ」などを連載していた週刊誌『毎日グラフ』(毎日新聞社)も、しゃれた雑誌だったが、ほどなく消えており、寂しい。 残念なのは、『季刊中央公論 経営問題春季号』55号(1976年3月)に掲載した「日本列島 ローカル交通はどこへ行く」を再録できなかったことである。この稿は、中小私鉄だけでなく、中央公論編集部の意向で、僕としては初めてローカルバスを取材した作品であり、宮城交通、岩手県交通、高知県交通周辺に出かけている。中小私鉄についても、広島電鉄、上信電鉄、大井川鉄道の健闘を取り上げているが、バスは新鮮だっただけに、ひときわおもしろく、高知県交通の白ナンバー特認代替バスなど、今に続く施策が始まった時期である。 執筆年次からみれば、本来4巻か5巻に入れるべきルポ的性格の濃い論文だったが、長すぎるとして相手にしてもらえなかった。そこで、せめてバスの部分だけでもと芳賀エディターに請願したのだけれど認められず、ページ割ができあがってしまった。今、机の上に広げている用紙には、『構成(案)2003/07/04』とあるけれど、「案」とはいえ言葉の綾で、今さら引っ繰り返すのは難しく、「それなら、どれを落としますか」と迫られても困る。仕方ないので、いずれバスの作品集をまとめる時に、参考資料として掲載することにしよう。かつて、ある読者に“有償輸送白バス”の由来を尋ねられた時、発祥は高知県交通で、詳しい由来は、『鉄道を書く』で解き明かすと答えたが、結果として約束を違えることになってしまい、申しわけない。 このような遺憾な点や、諸般の事情で刊行時期の遅れはあったものの、自選作品集第1期6巻を完結させることができ、嬉しい限りである。きわめて不定期な刊行になったのに、最後までおつきあいいただいた読者の皆さんには感謝に堪えない。第2期はどうなるのかと、気の早いお問い合わせもいただいているけれど、まったく未定。まだまだ現役で、ばりばり書き続ける所存だし、次の節目がきた時、改めて考えてみよう。なお、第IV巻の「あとがき」で大先輩の読者として記した滋賀県蒲生郡日野町、井上建設の井上憲太郎社長は、2002年6月に病死された。長年お世話になりました。心からお悔やみ致します。 作品集に収録した作品等を発表する場を提供していただき、快く再録を認めてくださった関係者の方々にも、あらためて厚く御礼申しあげます。作品収録にあたり、できるだけ初出原稿どおりとしたが、用字用語、数字・列車名の表記、句読点等を、ある程度統一し、一部にみられた今は用いない不適切な表現等を改めたのは、第5巻までと同様である。執筆当時の旅客営業関係制度等で、その後、改定された点がいくつかあるが、わずらわしさを避けるため、注記は最小限にとどめた。 企画を推進していただき、3巻準備中に亡くなった版元の中央書院、故竹森澄江前代表取締役社長、新体制で引き継がれた為汲英之現代表取締役社長、巻頭紀行の同行取材から編集作業まで終始面倒をみてもらっている芳賀ちゃん(芳賀郁雄エディター、鉄道図書編集長)ら中央書院の皆様にも大層お世話になりました。今後とも、よろしくお願いいたします。 2003年7月23日 種村直樹 |
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